(読書)ブレない生き方 田母神俊雄:著

田母神流ブレない生き方

田母神流ブレない生き方

ブレない生き方 田母神俊雄

ブレないってことは大切なんだなぁと改めて実感。

 目次

プロローグ 今、日本に求められている「ブレない生き方」

自分の遺志を曲げてまで、辞表を書くことはできない
あの騒ぎの最中にあっても、私は冷静かつポジティブに物事をみていた
輝かしい日本の歴史を取り戻すため、私の主張は決してブレない
最近の日本人は、自己保身のために自分の意志がブレている
意志がブレることで、日本は諸外国からなめられてている
日本が周辺諸国からナメられはじめたのは、ハイジャック事件の後からだった
日本人としての誇りを取り戻すことが、日本の未来を明るくする

第一章 ブレない教育
	子供の教育は「強制」からはじめろ!

 厳しい教育のもとで育った子どもは、心が豊かな人間になる
 厳しい父親のもと、私はよい子として育った
 学校のリーダーとして、自然と責任感が身についていた
 子どもはお互いに競い合うことで、自分を高めようと努力するものだ
 漫画のヒーローから、弱者を助けるという正義感を学んだ
 小さいころのコンプレックスは、大人になれば笑いのネタになった
 高校の先生から「勉強ができることだけが、人生の価値ではない」と教えられた
 父親の「防大に行け!」のひと言で、防衛大学校に入学することを決意した
 防大の厳しい生活から、人としてあたりまえの常識を学んだ
 正直、何度か辞めようと思ったこともある。しかし父親の存在が私を思い留まらせた
 防大軍事学の授業で、「国を守るとはどういうことか」を教わった
 教育で大切な「守破離」の精神が、立派な人間を育てる
 教育勅語を復活させ、道徳教育を徹底して行う必要がある
 戦後の「日本ぶち壊し計画」が、教育にも大きな問題をもたらした
 戦後、消滅してしまったリーダー教育を復活するべし

第二章 ブレないリーダー論
	上に立つ人間は自己保身に走るな!

 ブレない行動ができるのは、ブレないリーダーが存在するからだ
 リーダーを育てる教育機関が、自衛隊の中にはたくさんある
 目的意識を持つこと、人を育てることの大切さを、隊長から教えてもらった
 部下のプライドを守ること、ほめることも上司の仕事である
 仕事の極意は、タモちゃんの「80対20の法則」に尽きる
 私心をなくすことはできない。タモちゃんの「49対51の法則」
 人間のエネルギーは常に一定。「Total Sum is Constant」を知るべし
 ハードな生活によって、自分の信念を曲げない強い人間になった
 転々と職種が変わるたびに実行した、「一勤務一善」の教え
 どんな職務であっても、「日本一を目指せ!」と部下に教えた
 部下に常にいっていることは、上司自ら実践しなければならない
 上司がもっともしてはいけない「はしご外し」で裏切られた
 部下を守るのが上司の役目。「荒野の荒馬理論」で守屋次官と闘った
 組織のトップは正しいことを言い続け、後輩に夢を与えなければいけない


第三章 ブレない歴史観
	日本の伝統と誇りを取り戻せ!

 日本の近代史に興味を持ったのは、渡部昇一先生の本がきっかけだった
 自国の非を認める様な歴史認識は、日本の国を悪くするだけだ!
 日本のすばらしい歴史は、アメリカによってねじ曲げられた
 日本人だけが裁かれた、屈辱だらけの「東京裁判」
 戦前の白人国家から国を守るため、日本は闘わざるを得なかった
 日本は、朝鮮半島、台湾に帝国大学を作り、人権を認めていた
 バンドン会議で、「日本はアジア独立の母」とアジア・アフリカ各国から感謝された
 日本が最初に中国に軍を駐在させたのは、立派な条約に基づいたものだった
 日本が中国大陸で戦争に引き込まれたのは、すべてコミンテルンの陰謀だった
 南京に入城した日本軍は、規律が守られた紳士的な軍隊だった
 歴史を勉強することで、ブレない日本を作り上げられる


 第四章 ブレない政治
 	軍事力をバックに外交での発言力を強化せよ!

 55年体制の中で、日本の政治は左へと傾いていった
 日本の伝統文化の中には、日本人が幸せに生きる知恵がつまっている
 アメリカの要望が押しつけられた「年次改革要望書」が、日本の伝統と文科を壊している
 性悪説で外交する世界の国々に比べ、性善説で外交する日本の国益は大きく損なわれている
 外交と軍事は両輪である。どちらが欠けてもうまくいかない
 ブレない日本を作るためには、経済力に見合った軍事力を持つべきだ
 日本が目指すべき軍事力は、「核シェアリング」という考えかただ
 歴代総理大臣の意志がブレたため、世界でナメられるようになった
 中曽根首相は「その場凌ぎの外交」で、日本に多大なる迷惑をかけた張本人である
 従軍慰安婦と遺棄化学兵器問題で妥協した河野洋平の罪は、計り知れない
 「村山談話」というたった一度の妥協で、日本の将来を決めてしまっていいのか
 政治家がブレない発言をするためには、正しい歴史認識が必要だ
 政治家もマスコミも、事なかれ主義ではなく、国益を守ることを第一に考えるべきだ

エピローグ 若者よ、志は高く、熱く燃えよ



日本では明治維新以降、一時西洋かぶれの時代が訪れ、日本の伝統文化が軽視されることがあった。日本古来の倫理道徳や武道精神などは、封建的で無価値なものだという偏見が横行したのである。このとき、全国知事会文部大臣、総理大臣、明治天皇側近の大学者などが、知恵を出し合って関係させたのが『教育勅語』である。
教育勅語によって、日本の教育界が正常化しただけではない。教育研究者である小池松次先生によれば「世界の学者、為政者から絶賛され、欧米各国の国民教育の模範となった。それは100年たった現在でも続いており、知らないのは日本人だけである」ということだ。教育勅語が全世界に知れ渡ることになったのは、1908年9月にロンドンで開催された第一回世界道徳教育会議だといわれている。
アメリカのレーガン大統領(当時)も、日本の『教育勅語』を読み、「これはとてもいい」と感動したそうだ。現在アメリカでは『The Book of Virtues』という名前で出版され、聖書の次に読まれているというほど広く使われている。
また、イギリスのサッチャー首相(当時)も日本の『教育勅語』を用いて、乱れていたイギリスの教育を建て直した。さらにドイツでも教育勅語は絶賛されている。教育勅語には「12の徳目」というものがある。そこには、人としてごくあたりまえのことが書かれている。

また、「修身」の教科書には、人々のために尽力した偉い人たちの話が載っていた。日本人だけでなく、シュバイツァーやジェンナーといった世界で活躍した人も含む。つまり、人類や国民の幸福のために頑張った人たちのことを教えていた。
偉大な人物の功績を学ぶことで、「自分も日本のために、世界のために頑張ろう」という子どもを育てる狙いがあったのである。
また、戦前に日本を訪れた外国人は、当時の日本人の"清貧"な暮らしぶりに大変共鳴を受け,尊敬したという。老いも若きも、金持ちも貧乏も、みんな人間としての徳を身につけていたのである。
それもこれも、すべては教育勅語と「修身」の教科書を基本とした道徳教育が徹底していたからだ。

郷土の偉人とか二宮尊徳についての授業とかあったなー。いまでもそういうことやっているのだろうか。

また、小学生に過激な性教育や金儲けの教育をするというのも同じだ。判断力もない子どものうちから、本能に類することを教えれば、モラルの崩れた大人ができあがるに違いない。「守」を徹底して教えなければならない子ども時代に、性や金儲けの教育に時間を割いているようでは、結局日本人はダメになるばかりである。
さらに言えば、私は早期の英語教育にも反対だ。英語が話せればみな国際人かというとそんなことはない。英語はあくまでも手段であって、コンテンツではない。コンテンツがないのに、英語さえ話せれば立派な国際人になれる、とは言えない。
人間の思考というのは、言葉によって鍛えられる。日本の情緒を英語では絶対に表現できない。日本人が日本語を通じて体得する感性というものが、必ず存在する。例えば、「古池や 蛙飛び込む 水の音」という松尾芭蕉の俳句。日本人なら、その情景を思い浮かべて、「何となくいいな」と思うに違いない。しかし、アメリカ人なら、「それでどうした?」となる。こういう微妙な感性は日本語でないとわからない。
もちろん、日本語も英語も話せるに越したことはない。しかし、小学校の限られた授業時間の中で、本当に英語を学ぶ余裕があるとは決して思えない。結局、日本語も英語も中途半端な人間ができあがってしまうのではないかと危惧している。

激しく同意。

例えば外交の目的は、「日本の国益の増大」である。込み入った話し合いや複雑な人間関係の中でその目的をすっかり忘れてしまうと、その場しのぎの対応になったり、自分の保身を最優先したりと、ことなかれ主義になってしまう。目的さえはっきりしていれば、決してぶれることはない。

ぼくの会社でその場しなぎ、先送りをよくやるけど、もっと大局的な視点でいないと行けないって事ですね。なるほど。

例えば、部下が何か心配事を抱えていて、仕事に没頭できないような状況であれば、仕事の能率は上がらない。だから部下の心配を解決するときは、小隊長である私の仕事だということだ。また、部下をしっかり育てておかないと、いざというときに使え邸。強い信頼関係を気づいておかなければ、部隊は迅速で的確な行動ができなくなる。
もっと言えば、部下から好かれるだけではなく、「尊敬される上司」にならないといけないといわれた。後に私は、部下から尊敬されるためには、国家や国民のためという高い志をもつことと、どんな困難にぶち当たろうとも、目的や目標を達成するために熱い情熱を燃やし続けることが必要だと思うようになった。
隊長はこのような考え方を、ひとつひとつわかりやすく教えてくれた。指導とのおかげで、私の考え方が変わっていった。いつか自分も隊長のような上司、リーダーになたりたいと思うようになっていた。
目標となる上司が身近にいたことは、私にとって非常に恵まれた環境だったと感謝している。

上司・部下の関係も打算的なものではなく、根底にブレないものがあればうまくいくってことですね。

また部下が報告にきたとき、新聞を読みながら「ああ、ああ」と頷くだけの態度は、絶対にしてはいけない。常識前でも同じ態度を取れるならいいかもしれないが、上司に対したときは立ち上がって姿勢を正し、「はい!」と礼儀正しくするのに、部下の前だけで変わってしまうのはよくない。
人間というのはプライドの生き物である。だから、ブライドを傷つけてしまうと全力を持って反発してくる。部下のプライドを守ることは、上司にとって絶対に必要なことなのである。
ちょっとした話し方や態度で、部下のプライドを傷つけてしまうということを知っておくべきだ。

これは激しく反省。ぼくもとりこんでるとき後輩が相談にきたりすると、パソコンのモニタみながら適当に聞くときがあるけど、だめですね。たしかに上司に相談にいったときは、上司はこっちをみて効いてくれていた。格の違いってやつですね。

部下に仕事を任せ、責任感をもたせると、部下は自ら成長してくれる。部下が自分の判断で行動できるような環境をつくるのが上司の仕事だ。
そのためには、部下がしている仕事のうち、重要な2割だけを掌握し、残りの8割は好きなようなさせればいい。
(中略)
上司が部下のしていることを、100パーセント掌握しようとしたら、組織が存在する意味がそもそもなくなってしまう。組織の非効率かを招き、部下の仕事に対する意欲を失わせるだけである。
100パーセント把握したいと思う上司は、決心ができない上司でもある。こういう人は、すべての状況があきらかにならないと、何も決められない。すべての状況が明らかになることは通常あり得ない。そして、すべてのやるべきことが明らかになってから決めることは、決心とはいわない。
その決心の責任を負う覚悟がないから、「あそこはどうなっている?もう一回調べてくれ」と細かく確認してくるのだ。それでは仕事が進まない
。決心できない上司がいる組織の仕事効率は極めて低い。逆に,決心が早い上司の元では、仕事は効率的に進む。
だから、上司は80パーセントの情報があれば、決心するべきだと思う。80パーセントの情報ならば、20パーセントの努力で集められる。

タモちゃんの「80対20の法則」というやつらしいです。パレートの法則を実体験できたという意味でおっしゃっているんでしょう。

「私の歴史認識は範中将とまったく異なる。私は端的にいって、日本軍が中国に対して悪いことをしたとは思っていない。日本は諸外国との比較から言えば、極めて穏健な中国統治をしたと思っている。日本人の中には範中将と同じ見解を持つ者もいるが少数派である。平和な時代にも暴行はあるし殺人もある。それだけを取り上げて残虐行為が頻繁に行われたという中国側の歴史認識にはまったく同意できない日本軍が実質満州を統治するようななってから満州の人口はどんどん増加している。それは満州が豊かで治安がよかった証拠である。残虐行為が行われる場所に人が集まるわけがない。私は中国が日本に謝れというのならば、イギリスに対してその5倍、10倍謝れといって、やっとバランスがそれると思っている。それでも中国が日本に対してだけ残虐行為を吹聴するのは何か目的があるからに違いない。日本はアメリカから原子爆弾を投下され、東京大空襲も受けた。今日でいうところの民間人に対する無差別テロである。しかし、日本はもはや日米会談のたびにアメリカに謝罪を要求するとはしない。そんなことを言っていては日米関係が韮遺志項にならないからである。しかし、中国は日中会談の都度、それをやっている。そのことが日中関係を阻害していると思うし、是非中国における半日教育をやめてもらいたい。

ずばっといってやったらしいです。田母神さんの著書の中ではだいたいでてくるくだり。

東京裁判A級戦犯の方々が起訴されたのは、1946年4月29日である。この日は賞天皇陛下の誕生日だ。また、東條総理大臣以下7名の方々の死刑が執行された1948年12月23日は、当時の皇太子殿下の誕生日である。これは、歴史の偶然ではない。裁判というなの復讐劇であり、死刑執行という文字どおりの復讐だった。天皇陛下と皇太子殿下の誕生日を祝うことすらできないようにしたのである。
なぜ、日本だけがこんな目にあわなければならないのか。勝った国に、なぜ結果が出た後までこんなに痛めつけられなければならないのだろうか。
アメリカだって悪いことをしたではないか。例えば1945年3月10日の東京大空襲もその一つだ。この日は日本の陸軍記念日陸軍記念日とは、日本が日露戦争奉天会戦でロシアに勝利したことで、絶対に勝てないと思っていた白人国家を有色人種の国家が破った記念すべき日である。
その陸軍記念日の午前0時過ぎから東京への大空襲が開始された。南風が吹いていたため、まず南側を焼夷弾で焼いた。すると、北へ火が燃え広がる。次は埼玉県側の北側を焼夷弾で焼いた。さらに、東側、西側を猛火の海にし、四方を囲み逃げられないようにした。一晩で約10万人が焼け死んだといわれている。
そして、広島と長崎に投下された原子爆弾だってそうだ。民間人を無差別に殺害した、いまでいうところのテロ行為以外の何者でもない。

非戦闘員をここまで徹底的ぼこすのはよくないだろ、さすがに。アメリカはくだらない事案で謝罪要求決議とかだしてる暇があったら、こういうことをまず反省してはどうか。

白人国家に対抗しなかったら、日本は植民地になっていたかもしれない。今のような豊かな生活はできなかったかもしれないのだ。実際、最後まで侵略されずに残ったのは、日本とタイ、エチオピアくらいである。

なぜ急にアフリカの小国エチオピアが?え、まさか全世界の国々で侵略されなかったのってその国しかないの? 侵略の定義がよくわからないな。大東亜戦争で負けて、アメリカ軍に駐留されたことは侵略とは呼ばない? wikipediaでみてみると

侵略(しんりゃく、aggression)とは、国際法上、ある国家・武装勢力が別の国家・武装勢力に対して、自衛ではなく、一方的にその主権・領土や独立を侵すことを意味する。軍事学概念としての侵攻(invasion)が目的を問わず相手方勢力・領域を攻撃する行動を指すのとは異なり、相手の主権・政治的独立を奪う目的の有無に注目した用語である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%B5%E7%95%A5

GHQによって日本の政治・文化・教育界がずたぼろにされたことを考えると、侵略かな?

もう一つ付け加えておくならば、1910年の日韓併合から1945年の終戦までの間に、朝鮮半島では人口が約2倍に増えている(約1300万人から約2500万人へ)。

1993年8月4日、宮澤内閣の官房長官だった河野洋平は、「従軍慰安婦は日本軍の要請により招集されたものである」と認める「河野談話」を出してしまった。
従軍慰安婦が強制連行されたという証拠はなかったにもかかわらず、中国や韓国が騒いだため、「強制連行があった」と認め、政治決着を図ったのである。当時は、そもそも「従軍慰安婦」という言葉すらなかったのだ。
官房副長官の石原信雄氏(当時)は、「政府の実際の調査では強制連行の証拠はなかったのだが、中国や韓国を納得されるために河野氏が強制連行を認める談話を出した」と『文藝春秋』で証言している。
そのときは、やはり中国や韓国からは評価され、問題は収束した。しかし、その後どうなったかと言えば、「日本政府は強制連行をしたと認めたではないか」と言って、やはりゆすられ続けている。

政府見解がブレてると周りからいわれようと、この談話は撤回すべきでしょう。

以上