残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 橘玲:著

残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法

残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法

残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 橘玲:著

これはまたインパクトの強い本でした。時間のない人は最初の章と最後の章だけ読めばいいんかじかも。

今年3冊目。

本のオビから。

伽藍を捨てバザールに向かえ!
恐竜の尻尾のなかに頭を探せ!
ワーキングプア無縁社会孤独死、引きこもり、自殺者年間3万人超など、気がつけば世界はとてつもなく残酷。だが、「やればできる」という自己啓発では、この残酷な世界を生き延びることはできない。必要なのは、「やってもできない」という事実を受け入れ、それでも幸運を手に入れる、新しい成功哲学である。

期待が高まる。

著者プロフィール

橘玲 たちばな・あきら
1959年生まれ。作家。
2002年、金融小説『マネーロンダリング』(小社)でデビュー。
「新たな資本論の誕生!」と賞された
『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(小社)が、
累計30万部のベストセラーになる。
他に『貧乏はお金持ち』(講談社)、
『亜玖夢博士のマインドサイエンス入門』(文藝春秋)など著書多数。

http://www.tachibana-akira.com

小社=幻冬舎。橘さんの本、初めてだな。

 信じる信じないは別として、ここまでの遺伝学や心理学の「発見」をまとめてみよう。
(1)知能の大半は遺伝であり、努力してもたいして変わらない。
(2)性格の半分は環境の影響を受けるが、親の子育てとは無関係で、いったん身についた性格は変わらない。

もしこれがほんとうだとしたら、努力することにいったいなんの意味があるのだろう。

ほんと、なんの意味があるのだろう。みんなしてドMって話になる。でも、個人的には親の影響力ってのは信じたい派なんで、そこは抗ってみたい。人間は子どもだけぽんぽん産んで、あとは社会にぽいって放り出しとけば適当に育つって、それじゃ悲しすぎますよ。


「やってもできない」成功哲学

 自己啓発は、ひとがみな無限の能力を持っていて,知能や性格が教育(学習と訓練)によって開発できることを前提にしている。これは勝間の「信念」であり「哲学」デモシる。それに対して行動遺伝学は、遺伝的な影響を教育で変えることはできないという大量のデータを積み上げている。いったいどちらを信じればいいのだろう。
 勝間の主張は、香山の批判を受けて自ら書いた本の題名に端的に表れている。

 やればできる

 だが行動遺伝学は、次のようにいう。

 やってもできない。

 もうちょっと正確にいうと、適性に欠けた能力は学習や訓練では向上しない。「やればできる」ことはあるかもしれないけれど、「やってもできない」ことのほうがずっと多いのだ。
 こちらが正しければ、努力に意味はない。やってもできないのに努力することは、たんなる時間の無駄ではなく、ほとんどの場合は有害だ。

親指シフターの勝間さんと精神科医の香山さんの論争を題材にしてい説明しています。勝間さんは努力すれば年収が10倍になるというご自身の経験から、ためになる方法論を著作で説明してくれていますが、どうも香山さんはそれに異議をとなえたらしい。詳しくは香山さんの本読んでないんで不明ですが。ポジティブなノリでいけば勝間さんを指示するもんだけど、本書は「やってもできない」、自己啓発なんてほとんど意味がない、を説明する内容なのです。
 しかしですよ、努力しても無駄なんて、かっこよく言えば諦観だけど、そんな後ろ向きの人ばかりの社会になったらなんかやだな。人間としても魅力的に見えない気が・・・馬鹿正直に頑張る方がよくみられそうな気がするけど・・・でもそれじゃ幸せになれない=成功できないってことが言いたいんですよね。

 金融市場でリスクとリターンが釣り合っているのなら、大きなリスクをとった投資家の中から大儲けするひとが出るのは当たり前だ。こういうひとが「株で一億円儲ける」みたいな本を書くのだけれど、これは「宝くじ必勝法」と同じでまったく役に立たない。宝くじに当選するかどうか確率の問題で、大金を当てたごく少数の幸運なひとの背後には、外れくじを引いた圧倒的多数が隠れている。
 株式投資もこれと同じで、160万円の元手を5年で100億円にした"ジェイコム男"の向こうには、総額で100億円すってしまった無数の投資家がいる(その理由は、短期売買では投資はゼロサムゲームになるからだが、ここでは詳説しない。興味のある方は拙著『臆病者のための株入門』<文芸新書>参照)。

まさに正論。だと思います。『臆病者のための株入門』も読んでみたい。短期売買で儲けている人たちがしきりに「必勝本」を書くのはゼロサムゲームの出場者=カモを少しでも増やしたいからなんでしょう。市場の活性化なんて嘘っぱちなんでしょう、きっと。

 ひとびとは合理化された教育制度(マンモス大学)から合理化された職場(マクドナルド)へ、合理化された家庭(高層マンション)から合理化されたレクリエーション施設(ディズニーランド)へと移動する。最終的には旅行(パックツアー)や自然体験(RVで過ごすキャンプ場)など、日常の合理性から逃避するためのルートまで合理化され、ひとびとは合理性とい「鉄の檻」に閉じ込められ、そのなかで生きるほかなくなるだろう。
 なぜこんなことになってしまうのか。その理由は、考えるまでもない。
 合理的なシステムは快適なのだ。

わかるなー、実感。合理化された安定感(予測可能性)っていうのは意思決定時の重要な指標になる。


囚人のジレンマ」から見る「最良のつき合い方」

だがこの競技を制したのは、全プログラムのなかでもってとも短い「しっぺ返し戦略」と名付けられた単純な規則だった。
 しっぺ返し戦略は、次のふたつの規則から成り立っている。

(1)最初は協力する。
(2)それ以降は、相手が前の回に取った行動を選択する。

 しっぺ返し戦略では、とりあえずどんな相手でも最初は信頼する。それにこたえて相手が協力すれば、信頼関係をつづける。相手が裏切れば、自分も裏切る。だがいちど裏切った相手が反省して協力を申し出れば、即座に相手を信頼して協力する。

ほほう,これは使えそうなので覚えておこう。

 自分の血縁者を会社に入れるのはきわめて政治的な行為で、重い責任がともなう。すなわち、血縁者がトラブルを起こせばそれは自分に跳ね返ってくる。
 それに対して弱い絆の紹介行為は、たまたま知り合った人を、たまたま知っている別のひとにつなぐだけだから、失敗しても責任を問われることはない。逆にその人間が役に立てば、相手から感謝されて貸しをつくることができる。そこはいわば、損をしない投資みたいなものだ。貨幣空間では、ひととひととをつなぐことによって、みんなが得をする正のフィードバック効果が働いている。

金が価値の基準になるドライな「貨幣空間」、それの対になる言葉として、愛情や友情が支配する「政治空間」という概念がでてくる。

 ところで現代の脳科学では、幽体離脱は側頭葉のてんかん(電気的な痙攣)が原因であることがわかっている。神秘体験のまったくないひとでも、側頭葉に軽い電気ショックを受けただけで、意識が身体から離脱し自分を天井から見下ろすことができる。

いちど味わってみたいなあ。どんな感覚なんだろう。神秘体験皆無の人なんで、ぼく。

 あらゆる人類社会に"神"が普遍的なのは、霊や死後の世界が実在するからではなく、ヒトの脳が神を生み出すように(たまたま)配線されていたからなのだ(パスカル・ボイヤー『神はなぜいるのか?』)。

ま、そう考えた方が楽っちゃ楽ですよね。たまたま配線されていたってのもえらく説得力がないですが、神や死後の世界はあると思います。そう信じてるほうが人生に深みが出るでしょ。

 よくいわれるように、宝くじで億万長者になる確率は交通事故で死ぬ確率よりずっと低い。年末ジャンボ宝くじの一等当選確率は100万分の1。それに対し年間の交通事故死亡者数は約5000人で、10万人に4人、宝くじの当選確率の40倍だ。ということは、ひとは原理的に宝くじを買うことができない。
 なぜかって?
 宝くじを買うひとは、100万分の1の出来事が自分に起こると信じている。だったら、その40倍もの確率の高い出来事はもっと強く信じるはずだ。すなわち宝くじに賭けようとするひとは、交通事故で死ぬことを恐れて外出できない・・・。
 それでも宝くじ売り場に列をなすのは、ひとが確率を正しく評価できないからだ。認知の歪みによって、よいこと(宝くじに当たって億万長者になる)確率は大きく、悪いこと(車に轢かれて死んでしまう)の確率は小さく評価されるのだ。

なるほどなぁ。宝くじなんて一回しかかったことないけど、今後も買わないようにしよう。

 「うまい儲け話」にひとが簡単に引っかかるのは、「特別な自分には特別な出来事が起きて当たり前」と、こころのどこかで思っているからだ。だから、他人がだまされた話は鼻で笑っても、自分に同じ「幸運」がやってくるとあっさり信じてしまう。

気をつけよう。まずは疑ってかかることですね。

 日本的雇用は、厳しい解雇規制によって制度的に支えられている。だがその代償として、日本のサラリーマンは、どれほど理不尽に思えても、転勤や転属・出向の人事を断ることができない。日本の裁判所は解雇にはきわめて慎重だが、その反面、人事における会社の裁量を大幅に認めている(転勤が不当だと訴えてもほぼ確実に負ける)。解雇を制限している以上、限られた正社員で業務をやりくりするのは当然とされているのだ。
 ムラ社会的な日本企業では、常にまわりの目を気にしながら曖昧な基準で競争し、大きな成果をあげても金銭的な報酬で報われることはない。会社を辞めると再就職の道は閉ざされているから、過酷なノルマと重圧にひたすら耐えるしかない。「社畜」化は、日本的経営にもともと組み込まれたメカニズムなのだ。
 このようにして、いまや既得権に守られているはずの中高年のサラリーマンが、過労死や自殺で次々と生命を失っていく。この悲惨な現実を前にして、こころあるひとたちは声をからして市場原理主義を非難し、古きよき雇用制度を守ろうとする。しかし皮肉なことに、それによってますます自殺者は増えていく。
 彼らの絶望は、時代に適応できなくなった日本的経営そのものからもたらされているのだ。

日本のサラリーマンの自殺者が多いのは制度的な問題、日本的経営の問題だといっています。なるほどなぁ。しかし、年に3万人って多すぎると思いますよ。日本国にとってもものすごい経済的損失ですよね、自殺・ニート対策は政治的に緊急対応が必要かと。


ネットオークションで詐欺をたくらむ人が、まずは信用を得るために誠実な取引でよい評価を蓄積していくという話。

 ところでこの話は、じつは終わりがない。次の機会もあなたはこのふたつの選択で悩み、やはり正直を演じることを選ぶだろう。そしてその次の機会も・・・。このようにして悪意のある人間は、悪意を持ったまま、善人として一生を終えることになる。
 こんな不思議なことが起こるのは、ネットオークションがネガティブ評価よりポジティブ評価に高い価値を置いているからだ。ネガティブ評価だけだと、悪評ばかりの参加者はさっさと退会して、別の名前で再登録できる。ところがポジティブ評価だと、評価のリセットはこれまでの財産をすべて失うことになるのだ(山岸俊雄・吉開範章『ネット評判社会』)。
 ネットオークションの参加者には、悪意や善意とは無関係に、常に高評価を維持しようとする強いインセンティブが働いている。自由で効率的な「評判」市場では、誰もだ高い評価を目指して善意のひとを演じ、その結果、善意の人しかいなくなってしまう──それがユートピアディストピアかはわからないけど。

オークションの仕組み。ポジティブ評価を重視ってところがポイントみたいですね。

高度化した資本主義社会では、論理・数学的知能や言語的知能など特殊な能力が発達したひとだけが成功できる。こうした知能は遺伝的で、意識的に"開発"することはできない。すなわち、やってもできない。
 ところがその一方で、金銭的に成功したからといって幸福になれるとは限らない。ヒトの遺伝子は、金銭の多寡によって幸福感が決まるようにプログラムされているわけではないからだ。ひとが幸福を感じるのは、愛情空間や友情空間でみんなから認知されたときだけだ。
(中略)
情報テクノロジーの発達によって、貨幣空間が"友情化"してきた。

ま,最近はツイッターやらありますからね。一人になっても寂しくないような気もします。RSSの登録増やせば、チェックだけで一日が終わるだろうから、独りの寂しさも紛らわせるでしょう。ヤフオク取引時の温かい言葉のやりとり(社交辞令)もあるしね。




ロングテールの尻尾の中のニッチな市場でのさらに尻尾の尻尾のなかで頭になれれば、存在意義はあるし、ある程度儲けれるし、そこら辺での成功を目指したらどう?って話らしい。

 地球の生態系は想像を絶するほど多様で、標高5000メートルの高地にも、深さ6000メートルを超える超深海にも生き物は暮らしている。生物は自分に適したニッチ(生体的地位)を見つけることで、過酷な進化の歴史を生き延びてきた。
 70億のひとびとが織りなすグローバル市場も、地球環境に匹敵する複雑な生態系だ。伽藍を捨ててバザールに向かえば、そこにはきっと、君にふさわしいニッチがあるにちがいない。

これがご結論です。後ろ向きであり前向き。詭弁のようにも聞こえるけど、考え用によっては確かに・・・と信じたくなってしまいます。自分探しの旅、とか自分にあった仕事がないといって、なかなか定職につかない、とかありますけど、自分に合った仕事なんてそうそう見つからないんだから、とりあえず働いといて機会を待つってことが大事ですね。好きなことをいかして仕事ができるチャンスがあれば逃さず食らいつくと。


著者さんの公式HPで 『どうすれば「恐竜の頭」が見つかりますか?』という読者質問にこたえるページがありました(http://www.tachibana-akira.com/2010/10/1008)。回答としては 成功のきっかけ(フィードバック)を得るのは「偶然」に因るものなんで、偶然にであったらとりこぼさず、努力しましょう、ってことらしい? わかったようなわからないような。