読書: エコノミストを格付けする 東谷暁 (著)

エコノミストを格付けする (文春新書)

エコノミストを格付けする (文春新書)

エコノミストを格付けする 東谷暁 (著)

正直難しくて、何度も寝そうになった、いや寝た。
インフレターゲット論と財政出動論のなんたるかが、ほんのちょこっとわかった気がする。しかし、もっと分かりやすく書いてくれてもいいだろうとも思うのだが、ぼくが経済の勉強不足なのは否定しない。

小難しい話はわからなかったが、とにかくアメリカの金融政策なんてたいしたことない、FRBもたいしたことない、竹中憎し、の論調はブレがなく、一貫していたるところで紹介されている。最後はおびただしい数のエコノミストに点数をつけているカナリ奢れる著者様である。ほとんどのエコノミストをぼくが知らないというのもあって、そこは参考にならなかった。

目次

序章 エコノミストたちの「大恐慌」
	アメリカという神様の転落
	クルーグマンの転向
	「M&Aと証券化」バブル
	「懺悔」と「罪と罰」の季節

第1章 金融崩壊を予測できた人、予測できなかった人
	危険な仕組みを見破れない
	奇妙な楽観的雰囲気
	竹中平蔵氏のおかしな提言
	金融工学への過信
	ファイナンス理論への甘さ
	ポンジー金融の罠
	「不確実性」が世界を襲った
	16世紀以来の資本主義が崩壊する?

第2章 新自由主義罪と罰
	プレーヤーになったエコノミスト
	経済戦略会議の「日本改造計画」
	「前川リポート」の欺瞞
	竹中平蔵氏の変身
	ぶれる経済財政大臣
	中谷巌氏の驕慢
	構造改革原理主義への道
	日本は米中の属国だ
	本当に懺悔なのか

第3章 格差社会と「小さな政府」
	橘木俊詔氏の不平等論
	格差拡大の原因は高齢化?
	非正規雇用が30%台に
	新自由主義者と財界の合作
	八代尚宏氏の「正義」を問う
	突然、「大きな政府」と言い出した人
	高橋洋一氏の「大きな政府」論
	「小さすぎる政府」の問題点
	ムダ削減で財政再建は可能か
	誰が「信頼」を破壊したのか

第4章 なぜ日本が世界で一番落ち込んだのか
	「ジャペイン」は自虐的経済観
	労働生産性の伸びは低くなかった
	「米国に文句を言うな」という竹中氏
	日銀悪玉説の根拠は?
	榊原英資氏と野口悠紀雄氏の円安バブル論
	竹森俊平氏の明快さ

第5章 神様グリーンスパンの正体
	グリーンスパンに誤りなし
	サブプライムへの多くの疑惑
	「奇跡の利上げ」の評価
	奏でられるグリーンスパン讃歌
	データよりも勘のFRB議長
	誰もが驚いたエニグマ
	白川日銀総裁のバブル論
	軟着陸か、破裂か

第6章 インフレターゲット論の着地点
	伝道者クルーグマンの「謝罪」
	インフレターゲット論とは何だったのか
	人間心理に訴えかける危うさ
	岩田規久男氏vs池尾和人氏
	バーナンキ高橋是清
	あらゆるデフレは「貨幣的現象」なのか
	埋蔵金男の新・インフレターゲットクルーグマンは「転向」した
	「この論文は私の良心の呵責の表明である」
	「教祖」は賛美するエコノミストたち

第7章 財政出動は時代遅れなのか
	否定されたケインズ
	クルーグマン財政出動論
	金融政策への過大評価
	インフレターゲット論者の動揺
	リチャード・クー氏の巻き返し
	ローマー論文は正しいか
	財政支出の貢献度
	小野善康氏の公共投資の勧め
	ケインズの「乗数10」の真意
	結論は金融も財政も

第8章 中国とインドが未来の支配者か
	「デカップリング」論の主唱者は誰だ
	デカップリングはホラ話
	盛り上がる人民元切り上げ論
	日本にとって損か得か
	中国の「歌舞伎プレイ」にだまされるな
	BRICsが世界を制する?
	「資本の反革命」か「地球帝国」か
	基軸通貨ドルはいつ崩壊する
	グローバル化資金格差を広げる
	アジア経済落ち込みの真相
	「国家資本主義」の流れ

第9章 日本経済を復活させる鍵
	「埋蔵金」で日本は回復するのか
	政府紙幣は打ち出の小槌なのか
	またもや心理の問題
	政府系ファンドに投資させる
	郵貯をアメリカの金融市場に流す?
	野口悠紀雄氏の金融立国論
	日本の「モノづくり」は亡んでしまうのか
	スティグリッツの応え
	不良債権処理と景気回復は無関係?
	エコノミストよ、驕るなかれ

終章 エコノミストたちの採点表

 経済学者を名乗っていながら、慶応義塾大学教授の竹中平蔵氏ほど見当違いの予測をした人物もいない。竹中氏は2008年4月になっても、BS朝日の番組で<私は、米国の金融機関が日本のように、全体としてキャピタルクランチ〔貸し渋り〕に陥るリスクは、いまでも少ないとみています>とまで発言していた(『竹中平蔵上田晋也のニッポンの作り方』朝日新聞出版)。すでにアメリカの金融は混乱の極みにあり、地方の銀行にも資産の投げ売りとクレジットクランチは広がっていた。
 しかも、竹中氏は同じ番組で、<実は日本には・・・巨大な規模のSWF(政府系ファンド)を持っているのです。それが日本郵政です。・・・米国の銀行は今、資本不足で新規の投資資金を欲していますし、日本郵政は米国の金融機関に出資することで、さまざまなノウハウを地区正規できるはずです>などと、驚くべき提案もしている。
 郵政民営化のさいに、竹中総務大臣はアメリカ金融界のいいなりだといわれて、それを否定した発言を覚えているものにとっては
唖然とする話だろう。アメリカ金融は今も大丈夫だという、この時点では信じられない甘い見通しは、郵貯資金をアメリカに回すための誘導と言われても仕方がなかった。

 常識的に考えれば、株式市場は数百年の歳月をかけて規制を工夫しても、いまだにしばしば暴走するのだから、新参者である住宅ローン証券化を称賛するのは、きわめて危険なことだというのが妥当だろう。ここまでくれあb、野口氏の不自然な議論は、ムキになって証券化という金融技術を弁護しているとしか思えなかった。

2005年に郵政民営化を推進するさいには、郵政公社を民営化すれば郵貯が市場に開放されて資金は「官から民に流れる」と論じていた。また、郵政公社の職員は公務員だから、民営化すれば公務員削減が可能になるとも述べている。
 しかし、竹中氏のブレーンだった高橋洋一氏たちのシミュレーション「郵政民営化・政策金融改革による資金の流れの変化について」では、国内の資金が流れこむ先は、民営化前の2003年末で中央・地方政府が72%、企業が19%、特殊法人が9%だったが、嶺井かごの2017年でも中央・地方政府が74%、企業が22%、特殊法人が7%と、むしろ官への流れが多くなることが分かっていた。また、郵政公社は独立採算制だったから、職員の身分は公務員でも給料はもともと国庫からでていなかったので、公務員削減の目的はまったく達せられることはなかった。
 これが政治の現実というものなのかもしれないが、それでは竹中氏が経済学者として延々と論じてきた構造改革とはなんだったのだろう。結局、竹中氏が行った構造改革とは、国民を欺くだけでなく、自分の学問をも欺くものに過ぎなかったことになる。そしてまた、アメリカ発の世界大不況が襲ったとき、日本の構造改革路線はなんの役にも立たなかった。

京都大学教授の橘木俊詔氏による『日本の経済格差』(岩波新書)が刊行されたのは、1998年。橘木氏は所得格差の指標であるジニ係数を用いて、実は、日本は世界でもトップクラスの格差社会に突入していたと指摘して大きな反響を呼んだ。ジニ係数は、皆が同じで完全平等の時には0.00、一人が独占の完全不平等のときには1.00の数値となる。橘木氏の用いたジニ係数では、アメリカが0.40で日本は0.43をしめしていた。

(この後、その計算はおかしいんじゃないのと反証)

 日本が「小さな政府」になるべきだという議論は、日本が「大きな政府」だという前提に基づいているべきだろう。小泉政権の時代には、あたかもこの前提は当然のように論じられていたが、実は、この前提からしておかしかった。
 総務省が作成した「人工千人あたりの公的部門における職員数の国際比較(未定稿)」によれば、日本は2001年で36.4人、ドイツは58.4人、アメリカが80.6人、英国が73.0人、フランスが96.3人で、公務員数からみても日本は「小さな政府」だった。これらは政府企業職員、つまり独立行政法人特殊法人の職員を含んだ数値である。
 また、日本の2005年の一般政府支出は、対GDP比で36.4%。いっぽう、アメリカが2004年の数字で36.4%。さらに、英国が2005年で44.9%、ドイツが2005年で46.8%、フランスが2005年で53.9%、スウェーデンが2005年において56.3%で、日本はアメリカと並んで先進諸国できわめて少ない部類に入る。
 これで、どうして日本が「大きな政府」ということができるだろうか。事実、小泉改革のブレーンだった高橋洋一氏ですら、日本が「大きな政府」といえないことは十分に知っていた。2008年3月刊の『さらば財務省!』(講談社)で、<日本は決して大きな政府ではないという説がある。確かに公務員や特殊法人の人員が先進国では少ないのは事実だ>と、あっさりと認めている。

 そもそも、世界比較でみれば決して「大きな政府」とはいえない日本政府を、増税を全く行わないで、無駄を削ることだけで「小さな政府」にしようという小泉・竹中改革には、もともと無理があったというわけである。

 では、これまでのインフレターゲット論と財政出動論の激しい論戦は無意味だったのだろうか。必ずしもそうではない。それはたとえば、最近のインフレターゲット論者たちが、戦前の高橋是清財政に関する研究を通じて、不況対策は財政政策と金融政策とのポリシー・ミックスだという結論に到達しているのは、ひとつの成果と言えるだろう。
 インフレターゲット論者は、高橋是清が1931年12月に金本位制を離脱するだけでなく、1932年3月8日には積極財政への転換を宣言。と同時に「満州事変」の軍事費調達と積極財政への転換に必要な資金国債の日銀引受によって調達したいと日銀総裁に要望したことを、極めて重く見ている。

 周知のように「デカップリング」論とは、開発途上国の経済発展はアメリカを中心とする先進国とはでカップルされて(切り離されて)いるので、たとえばアメリカの経済が交代しても、開発途上国の経済発展には影響を与えないという説だった。

 もし元が妥当な評価より安く、中国の輸出が有利になっているとすれば、日本やアメリカなど、中国から大量の輸入を受け入れている国の産業は打撃を被ることになる。日本でもアメリカでも、元の切り上げを強く要望したのは国内で生産する中小企業だった。
 しかし、もし日本やアメリカの企業が、中国に拠点をかまえて輸出しているとすれば、そうした企業にとって元は安いほうが有利になりはしないだろうか。また、「世界の工場」といわれる中国で生産している企業にとって、どのような製造過程をへているかによって、人民元の切り上げのプラスとマイナスは、かなり微妙な問題となるだろう。