読書 渡部昇一の昭和史(正)

渡部昇一の昭和史 正 (WAC BUNKO 92)

渡部昇一の昭和史 正 (WAC BUNKO 92)

日本がなぜ大東亜戦争に突入していったのか、細かく分析・解説した本。大変な良書だと思う。今回、図書館で借りた本だが、これは自費で購入し、自宅の書架に配備せねばならないと思った。
歴史は勝者が書くものであるから、公正に勉強しようとおもったら大変難しいし、真実は誰にもわからない、ということもあるかもしれない。この本の内容が正しくないということもあるかもしれない。でも、知ろう、という努力を怠ってはそこで試合終了である。


無言実行を美徳とする日本人は先の戦争をはじめ今でも情報戦で国益を損ない続けている。本書を読んでいて、ほんとうに悲しくなった。世の中、特に外交では声高に主張するものが勝つ。誠実に、正直にやってさえいれば認められるというわけではなく、もちろんそういう徳も必要ではあるが、+テクニックが必要ということ。ぼくもそれは苦手・・・。


人類が何千年にもわたって積み上げてきた歴史、それをすべて知ろうというのは無理だとは思う。だが、日本を代表するような政治家とかは正しい歴史知識に裏付けされた言動をしないと、国益を損なう=国賊売国奴と呼ばれるようになってしまうので注意が必要だ。ぼくもちゃらちゃらしたブログなんぞを書いているが、なにげない話題から国益を損なわないよう留意したい。


日本は情報戦に弱い。小狡い白人や中国人の策略にまんまと引っかかって戦争に突入していった下りなんぞは怒りと情け無さで震えた。本の終盤にはもし、「あの時こうしていれば・・・」という考察がなんども登場するが、ため息なしには読めない内容。通州事件に外国メディアを連れていっておけばとか、ルーズベルトやハル相手ではなく、アメリカの皆の衆にたいして戦争はしたくないんだ、という意志を伝えれいれば等々。


いまはネットの普及しきったので情報(歴史)がまちがって後世に伝わるという危険性は減ってきているかもしれないが、情報戦にたけた勢力が操作することによって、公正さなんとものはあっというまにふっとんでしまうことは間違いない。情報を発信する側、受信する側、どちらの立場において注意が必要だ。あっさり洗脳されちゃいました、ってことはないようにしたい。中国のネット検閲などは看過できる問題ではない。


以下は、面白かった部分の引用です。ではでは。

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マッカーサー自信が日本人の戦争を自衛戦争と認めている以上、A級戦犯という罪状項目は昭和二十六年(1951)に消えているわけえある。それなのにまだA級戦犯を問題にする人や国がある。何たる不勉強な話だろう。

戦後処理は解決済みの問題だ

 外交というのは、マハティール首相が指摘したように、将来のことを話しあうために行うものである。半世紀も前のことに言及する必要はない。
 いや、そもそも過去の問題についてすでに決着がついているからこそ、外交関係があるのだ。過去の経緯にたいして、どちらか一方が今なお不満に思い、絶対に許せないと考えていたら、国交はありえない。
 日米間の戦後の外交関係が、昭和二十六年(1951)に結ばれた平和条約(サンフランシスコ講和条約)から始まるというのは、そういう意味なのである。この平和条約締結によって、賠償問題を含めた戦後処理はすべてかいけつしたのであるから、今日、日本の首相もアメリカの大統領も、外交の場において過去のことを持ち出さない。

戦後の左翼的な歴史観において、明治維新の諸改革やその後の富国強兵策はまったく目の敵にされ、否定的な評価ばかりがまかりとおった。しかし、何度も繰り返すように、欧米列強の植民地化政策に対して日本が生き残るための選択肢は、急送に欧化政策を進めて国力を高める道しかなかったということは、ぜひ忘れずにいてもらいたいと思う。

井上にかぎらず、維新の元勲たちがみな”気概”の持ち主であった証拠として、私は彼らが誰一人として自分の実子を政治家にしなかったということを、ぜひ記しておきたいと思う。

一九五一年五月一日、アメリカ上院の軍事外交委員会でマッカーサーは演説を行うのだが、そのとき彼は「この前の戦争に日本が突入したのは、主として自衛のためだったのだ」という旨の演説をしている。東京裁判を行わせた人物が一転してこのような発言をするようになったのは、やはり近代日本にとってのコリアの意味が朝鮮戦争にようって理解されたからであろう。

軍人でも親補職にはコリア人がいて、中将になった人もあった。「親補」という単語は、現行の『広辞苑』にも収められているが、官吏中の最上級で、天皇に直属して他の政府機関の監督を受けないという、大変な地位である。若い世代でも、後に韓国大統領になる朴正煕青年は、士官学校を出て少尉に任官している。これは当時の国際常識から見れば、例外的と言っていいほど人道的なやり方であった。

戦後補償は"無知"の産物

 さて、昭和四〇年(1965)、日韓基本条約が締結されるときに、まず問題になったのは、この日韓併合条約であった。つまり「日韓併合条約は合法かつ有効な条約か」ということである。
 このときの日本側の関係者たちの主張は、まことに筋の通った話で、今考えてみても「よくぞ言ってくれた」という思いがする。
 「日本側が韓国に復興資金を出すのは、やぶさかでない。喜んで資金提供をするつもりだ。だが、それを日韓併合の賠償金というて支払うのは拒否する。なえなら、日韓併合条約はまったく正しい手続きを経て締結されたものだし、諸外国もそれを承認した正規の条約である。正規の条約によって発生した行為に"賠償金"を払うことは、国際的に許されるわけがない」としたのである。
 これは、まさに正論である。もしここで日本が賠償を払って"悪しき先例”を作れば、誰も条約を結ぼうとはしなくなるであろう。その時は正当な条約とされていたのが、あとになって「あれは犯罪的条約だ」とされるのでは、オチオチ条約など結べない。したがって日韓併合条約を合法と主張するのは、日本のワガママでも何でもなく、国際社会での"筋”は曲げられないという責任感なのである。
 この日本の主張を、当時の朴大統領は受け入れてくれた。こももまた素晴らしい決断である。韓国の世論が朴大統領の真意も知らず、非難してくるのは眼に見えているのだから。日韓併合条約は有効である―ーーこの一点について合意ができれば、あとはスムーズに進んだ。日本は韓国に無償贈与として三億ドル、借款五億ドルを提供、韓国のほうは対日賠償を一切求めぬということになった。

パリ講和会議では国際連盟が作られることになったわけだが、その規約を作る過程で、日本の牧野代表は画期的な提案を行う。それは連盟規約に「人種差別撤廃条項」を入れようというものであった。つまり、連盟に参加している国では、今後、肌の色によって差別するようなことは止めようということである。これは歴史上、国際政治の場で人種差別撤廃を提案した最初の例といっていいであろう。
 しかし、この提案は葬り去られることになる。国際連盟に参加しているような国はみな植民地を持っているから、人種差別の手パイなどといったアイデアは危険思想なのだ。

謝罪外交という国賊的行為

 ところで、平成六年八月、村山富市首相(当時)と土井たか子衆議院議長(当時)がシンガポールを含む東南アジア地域を訪問した。いわゆる"謝罪外交”のためえあったのは言うまでもないが、ここで見落とせないのは、彼らがシンガポールの「血債の塔」という慰霊碑に献花したという事実である。というのも、この慰霊碑が祭っているのは、占領中に日本軍に殺された華僑たちであるからだ。
 村山首相や土井議長は慰霊碑に祀られている人々の多くがゲリラであったことを、ちゃんと認識していたのだろうか。(中略)
 支社の冥福を祈るために、献花することは構わない。だが、この人たちの死について謝罪したことは、二重の意味で犯罪的行為である。それは、敵味方双方を不幸にするゲリラ戦を肯定することであり、さらには華僑のゲリラとたt勝手死んでいった日本人兵士への侮辱である。
 もう一度言うが、華僑ゲリラを処刑したことについては、イギリスの裁判官ですら、それを当然だと判断したのである。村山首相や土井議長がマレーシアやシンガポールに謝罪の旅をし、しかも「血債の塔」という慰霊碑に献花し、謝罪位したのは、無知から出たことであったにしても、彼らの無知の深さは、国政の責任者として、ほとんど国賊的である。

昭和天皇が終戦直後に側近に語られた記録がのこされているが、それによると「この戦争の遠因はアメリカの移民禁止にあり、引き金になったのは石油禁輸だ:という趣旨のご発言がある(『昭和天皇独白録』文藝春秋)。これほど完結で明瞭な――疑う余地がない――史観は聞くこと稀である。事実、ただでさえ世界経済がブロック化しているところに、石油まではいってこなくなっては、戦争を始めるしか選択肢はのこされていなかったのである。

あの『昭和天皇独白録』を筆記した寺崎英成という人は、あの晩、送別会の主役であった人物である。もちろん、断行通知が遅れたことについて、彼だけを責めるつもりはない。しかし、真珠湾攻撃がなぜスニーク・アタックと呼ばれるようになったのかは、当然知っていたはずである。ところが彼もまた、その真相を誰にも話さなかった。そして、話さないまま、天皇の御用掛になった。
 言うまでもないことだが、昭和天皇は最後まで日米開戦を望んでおられなかった。閣議が「開戦やむなし」という結論になったときも、「和平の可能性はないか」ということを重臣になんどもかくにんしておられたという。
 このようなお考えであったから、天皇はきっと真珠湾攻撃がスニーク・アタックになったことを残念に思っておられたはずである。「暗号解読に予想外にて間取り」という言い訳を聞かされて、やむなく納得しておられたのだ。
 ところが、その真相が違うことは、目の前にいる寺崎本人が誰よりもよく知っていたのである。なんという皮肉な話であろうか。

戦後急速に復興した日本からの進出企業が活躍したことで、東南アジアは栄え、今や日本にとって東南アジア諸国との貿易量は、アメリカとの貿易量とほぼおなじになった。今後は、アメリカよりも東南アジアのほうが、日本にとって重要な貿易相手となるであろう。
 これは戦前の状態から考えると夢のような状況である。戦前の日本は、アメリカやイギリスからの貿易を止められ、東南アジアからの輸入も白人によって止められ、窒息寸前の状態になった。しかし、今やそんなことは起こりえない。東南アジアの諸国とわれわれは自由貿易をしていて、それを塞き止めるような勢力はいない。
 もし現在のような状況が戦前にあったなら、日本はあの大戦争をしなくてもよかったのである。そう考えると、時代の変化に感無量の思いである。