ゼロから始める都市型狩猟採集生活: 坂口恭平

ゼロから始める都市型狩猟採集生活

ゼロから始める都市型狩猟採集生活

大震災後、節電・節エネルギーが必要はいまにぴったしの本。
要するに、ホームレス生活の指南書です。これを読み切ると、最悪のケース(失業→離婚→ひとりぼっち)になったとしても堂々と生きていけそうな気がしてきました。ただ、そうとう吹っ切れないとホームレスなんてできないでしょうから、養う家族がいる場合はそう簡単にはいきませんよね。まずは失業→再就職or起業 となるよう今から準備が必要ですね(そっち方面は橘さんの本読めばいいとして)。

以下 読書メモ。


都心のホームレスは実は衣服には苦労しないそうだ。普通に捨てられている家庭ごみの中から発見できる場合もあれば、教会から貰うこともできるらしい。教会のホームレス支援って、ウィルスミスの映画とかでもでてたけど、ほんと偉いよな。キリスト教すごい。中途半端な偽善宗教にはまねできませんね。

服と同じように、靴もたくさん実っているのだ。
 それでも見つからない場合は、やはり教会でもらうことができる。路上生活者の話によると、衣服は週に2,3回もらえるが、靴の場合は一カ月ほど教会に通ったあとでしかもらえないそうだ。しかし、一カ月間通いさえすれば、獲得できる可能性は100パーセントだという。

 それは、「ドロボウ市」という物騒な名前で呼ばれている。常連客が言うには、40年以上も続く由緒正しきドロボウ市だという。
 開催場所は、南千住駅から徒歩で行ける、山谷地区の玉姫公園周辺だ。山谷地区というのは台東区泪橋交差点を中心とした日雇い労働者たちが滞在する簡易宿泊所が集中する地域の通称であり、俗に言う「ドヤ街」である。
 市場は、雨の降らない限り毎朝5時〜7時の2時間だけ開かれる。昔は名前のごとく盗品もたくさん売られていたようだが、今はすぐに検挙されてしまうため出品されていない。犬や猫や鳥なんかが取引されていたこともあるらしい。
 そして、このドロボウ市こそ、誰でも格安で参加できる市場なのである。

↑ドロボウ市いってみたいなー。マザー2のヌスット広場みたいなもんかな。あそで卵買って鶏にそだてると、いい金で売れるんだ。

 では、自由に家を建てられる場所はもうどこにもないのかというと、これがちゃんと残されている。
 東京であれば、多摩川と荒川の河川敷である。この二つの場所では、今、新しく家を建てたとしても、事実上、誰からも何も言われない。すべての土地が誰かに所有されているように見えるこの日本でも、じつはまだ、誰でもゼロ円で自由に家を建てることができる場所があるのである。
(中略)
 もちろん、河川敷に工作物をつくるという行為は、法律では認められていない。そのため、河川法第26条を違反していることになる。しかし、これまでこの第26条が実際に適用され、罰則をウケたというケースは存在しない。
 つまり、土地が何億円かで取引される一方で、実際に0円で家が建てられている場所が存在しているのである。

↑法律のスキマをつくってのがやっぱり基本なんですよね。黄金の羽もただ体制に従順で普通の生活してるだけの人には降ってこないと。自分で突破口を見つけ出さないといけないってことなんでしょうね。

[12ボルトバッテリー]
(中略)
 バッテリーというのは、自動車用の12ボルトバッテリーのことだ。これで電化製品を動かせるのである。
 家庭用電源は通常100ボルトであるが、きみが今つかっている電化製品の表示をみてほしい。意外にも12ボルトで動く製品が多いことに気がつくだろう。その12ボルト製品を家庭用の100ボルトの電源で使うときにはアダプターを使用しているはずである。しかし、12ボルトバッテリーであれば、アダプターなしでそのまま接続して使うことができる。逆にこちらのほうが電気の効率がよいぐらいである。
 もちろん家庭用のすべての電化製品が、バッテリーで使えるわけではない。家庭用の100ボルト電源の仕様を前提にしてつくられた製品もあるからだ。たとえば、電化製品によっては交流のものもあり、これは家庭用電源が交流100ボルトだからなのだが、その場合、直流12ボルトのバッテリーを使用することはできない。ただ、直流を交流100ボルトに変換するインバーターを<都市の幸>として手に入れ、つかっている猛者もいる。これなら、どんな電化製品でも路上で使うことができる。

ソーラーパネルを屋根にとりつけ、12ボルトの車のバッテリーに充電し普段の生活用で使っているホームレスの人もいるらしい(厳密には小屋建ててるんでホームレスではない)。エコだ。これこそ新江古田

 都市公園法では、公園の水を個人的に利用することは禁じられていない。だが、東京都内に限ると都立公園条例というものがあり、その第16条により利用が禁止されている。といっても罰則があるわけではないので、実質的には使い放題となっている。
 現在、路上で生活している人々の多くはこの公園の水を生活用水として利用している。問題がないわけではないが、住む場所のない人にとってはここが最後のライフラインであり、それを禁じてしまったらそれこそ大変なことになってしまうので、黙認されているのが現状である。

↑飲める水がタダってのは、後進国のひとたちにとってみたら、信じられないようなことなんでしょうね。

 人間の思考に、「エネルギー保存の法則」はあてはまらない。思考すればするだけ、人間は無限に創造的な生活をすることができる。そこには、私利私欲を超えて社会をよくしようと試みる芸術家の、本質的な仕事を見ることができる。
 根源的な意味で家を建て、生活をおこない、自分にしかできない仕事をするということ。それはすべての人間に与えられた可能性であり、かつ、すべての人間は芸術家であるということの証明になるだろう。

エントロピーを凌駕したってことなんでしょうか。簡単に言えば。


0円生活者へのインタビューから

「しかし、本当に0円で余裕のある生活ができるとは・・・・夢のような話ですね」
「うん、こんなこと、社会主義の国ではぜったいできないよね。みん名等しく働かなくてはいけないんだから。これは資本主義だからこそできるんだよ。自由経済の社会だからこそ、お金を一番重要なものだと信じ込み、お金持ちと貧乏人というヒエラルキーが手きあがる。すると、貧乏人はかわいそうだってことで、助けてくれる人が出てくる。自分がヒエラルキーの中にはいったままだと、貧乏がコンプレックスになって、絶望してしまうかもしれない。でも、そのヒエラルキーから自由になった人にとっては、すごく楽なの。まあ、たいていの人は世間体とかを気にしちゃうから、こんな生活できないだろうけどね。でもね、この完全無職0円生活には束縛がない。代わりに完全な自由があるの。この生活を送ることは、自分の氏名だと思ってやっています」

ヒエラルキーがどうのと言えるホームレスの方。考えなしってわけではないんですね。誇りをもってホームレスやってる、たいしたもんです。昨日NHKの番組で派遣村の代表していた人が、もっと多くの人とその背景に関心を持ってほしい、といってましたが、人をイメージで判断するのではなく、話を聞いてみるってことは大切ですね。

 都市型狩猟採集民たちと会話をして、非常に印象的だったことがある。それは、彼らが働くことに積極的であるということだ。
 自分が社長みたいなものだから、いつ休んでも誰にも怒られないのであるが、それでも彼らは朝早く起きて、働くのである。もちろん、働かないと生きていけないからでもあるが、それ以上のモチベーションがぼくには感じられた。彼らは仕事が楽しいのである。
 自分でさまざまなアイデアを考え、他人と差別化をはかり、独自の仕事の方法を見つけ出していく。その技術は日に日に向上していく。向上心はすべてに勝るモチベーションとなる。都市型狩猟採集生活は、人間の生きる意欲を無限大に引き出すのである。
 ニートや引きこもりの人々は、ぜひ一度、路上のおじさんのところに修行に行ってみるといい。自分ひとりで、自分のための仕事をつくることができる、ということを実感できるはずだ。

↑向上心があるって大切ですよね。こんな時代ですから、ニートの方々も働いていただいて日本の経済回復に貢献していただきたいと思います。

『森の生活』について調べるうちに、゜それがある日本の古典文学にも影響を受けていたことを知った。鴨長明の『方丈記』である。
 鎌倉時代に書かれた『方丈記』は、もともと良家の出身である鴨長明が栄華を捨て、山に方丈庵という小屋を建て、そこで考えたことを綴った本だ。
 そして、この方丈庵、驚くことにモバイル(移動式)ハウスなのだ。簡単に組み立てられるようになっており、また、荷車に乗せてどこへでももっていくことができたという。『方丈記』の中で彼は、動かすことのできない家に住むことは、合理的な態度ではないと書く。

方丈記ってそういう話だったとはしらなかった。たしか中学の国語か日本史でちらっと習った気はするのだが。